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"規矩"とはどういうものか?

 どうでもよいことは流行に従い、重大なことは道徳に従い、芸術のことは自分に従う。                                                                                                                      (小津安二郎)
 
 そもそもこの“規矩”という言葉に出会ったのは、僕が大学一年のとき、小林秀雄の対談集を読んでいたときである。小林が坂口安吾と絵画について熱く語っている件であった。確か、小林が鉄斎に関して絵画における“規矩”という用語を使って、鉄斎の資質を述べていた。安吾に反駁して、彼をねじ伏せるばかりの啖呵を切っている。そうした場面が、いやにそのときの僕の印象に残り続けたのである。それを境に、“規矩”という言葉を辞書なり、絵画事典なりを調べながらも、大して深い説明には出合わなかったけれども、その小林秀雄のその言説上の意味を僕なりに理解していった。~拙著『ポップスの規矩』のあとがき~
 
 この“規矩”という言葉は、最近になって、村上陽一郎が『やりなおし教養講座』(NTT出版)という書物の中で次のような一節で用いているのを目にしては、ますます僕は“規矩”という言葉に込めた自分の思い{※山下達郎こそ<ポップスの規矩>であるという思い}が間違いではなかったことを再確認するまでになったことを付け加えておくことにしよう。~拙著『ポップスの規矩』のあとがき~
 
 自分の中にきちとした規矩(・・)を持っていて、そこからはみださないぞという生き方のできる人こそが、最も原理的な意味で教養のある人と言えるのではないか。~村上氏の文より~
 
 自分の規矩(・・)は決して崩さず、しかしそれで他人をあげつらうことも、裁くこともなく、声高な主張から一切離れ、(中略)ただ静かに自分を生きること、世間を蔑んで孤高を誇るのではなく、世間に埋もれながら自分を高く持すること、それを可能にしてくれるのが「教養」ではないか、と私は考えているのです。~村上氏の文より~
 
 イチローは日本でオリックス時代に首位打者を連続して取り続けた。スーパースターになった。しかし、彼は、テレビのバラエティ番組など、また、アスリートが主役の「筋肉番付」などといったスポーツ番組にさえも一切出演したことがなかった。へそ曲がりなほど、野球人としての姿勢を貫いてもいた。
 
 中島みゆき、松任谷由実、小田和正、松山千春、矢沢永吉など7~80年代に、一切テレビ番組出演を拒んでいたアーティストは、今や、歌番組はもちろん、バラエティ番組、さらには、CM出演にまで出てくるありさまである。この点で、昔のポリシーどこ行くものぞ?と問い質したくなるが、時代も変われば、そのミュージシャンの気質も当然変わるものである。あのイチローでさえ、マリナーズで活躍した晩年は『古畑任三郎』(フジテレビ)などのドラマに出るようになったほどであるから、それも仕方あるまい。こうしたアーティストの姿勢を敢えて“ブレる”と言わせてもらおう。しかし、ミュージシャンで一貫して“ブレていない”人物を挙げるとすれば、山下達郎を置いて他にはないと断言できる。
 
 あるエピソードを挙げるとしよう。
 10何年か前のことである。ある大手代理店から、達郎・まりや夫婦に某コーヒーメーカーのCM依頼がきたそうである。軽井沢かどこかで数日間CM撮影で拘束されるだけで、億単位の出演料を提示されたようである。しかし、彼(ら)は、その依頼を拒否したのである。
 拒否の理由がこうである。
「たった数日で億単位のお金が入ってくる。確かにおいしい話ではある。でも僕たちは飽くまでもミュージシャンであって、歌、曲を作ってなんぼの世界で生きているわけで、好きな音楽で食べてゆく、いい音楽を創ることが至上目的なわけ。そんなといったら失礼かもしれないが、そんなあぶく銭を手に入れたら、もう、数年、いやしばらく何もしないで暮らしていけるでしょう?人間って弱いもので、そんな大金を即座に、一瞬にして手に入ったら、ミュージシャンとして、モノづくりを本業とする人間としてダメになっていってしまう。自分は音楽だけで食べていくんだといった決意、信念が、ある意味、そのCM出演を拒否した理由の一つかもしれない」
 
  詳しくは、この場では語らないが、そうしたミュージシャンとしての鏡となる姿勢は、枚挙にいとまがないほどである。何はさておき、拙著『ポップスの規矩』をお読になると彼の<ブレない人間の凄さ>がまじまじとご理解できるやと思う。
 
  彼ほどのミュージシャンともなれば、ドーム球場から様々なアリーナくらいは優に満員ともなるであろう。しかし、彼は、それを一切拒んできた。東京ドームや横浜アリーナなど万単位の収容人員の会場で一回ライブを行えば、NHKホールや神奈川県民ホールでやる5倍以上を一日でがっぽり収入が入ってくる。楽して儲かる。しかし、彼は絶対にそうした大会場ではライブをやらない。武道館ですらやったことがない。「あんなところ、音楽をやる場所ではない」と断言してもいる。クオリティー高いライブなどせいぜい2000人くらいのホールでなければ、本当の音楽なんて体験できないとも語っている。お客、ファンに対してとことん自身のポリシーと誠意を貫いてもいる。こんなアーティストは達郎以外見当たらない。DVDすら彼ほどメジャーで超大物となったミュージシャンで出していない者も珍しい。ライブは生で聴くものという信念を貫いてもいるからである。更に、某音楽雑誌に数年間連載した自身のコラム(エッセイ)なども、某出版社からまとめて書籍化の依頼があった際も拒否したそうである。理由は、「雑誌に書いたその内容はその時々のもので、それを数年後書籍化しても、内容が賞味期限が過ぎてふさわしくもないから…(笑)」といったものだったが、それは一口実に過ぎないと私はみている。これも、達郎が音楽の本業以外の収入を拒否する信念の顕れと見た方がいい。彼が日ごろ語っているプリンシプルが以下の4条項でもある。
 
   ①キャパ数千人以上の会場ではライブをやらない~武道館ではライブをやらない!~
   ②テレビには出演しない
  ③音楽人として書籍の類は一切出さない 
   ④DVDは出さない
 
  以上の4項目を貫いているミュージシャンは、日本のみならず、世界でも恐らくいるまい。これぞ、ブレない、つまり“ポップスの規矩”と私が命名した所以でもある。
 
  日本映画の三大巨匠、小津安二郎、黒澤明、溝口健二といった監督の映画撮影へのこだわりといった姿勢も、一種ブレないということの典型でもあろう。映画通の方ならご存じでもあり、想像もつくであろう。宮崎駿・高畑勲のスタジオジブリ工房での手書きの原画作業といったものも、コンピューターグラフィックの時代にあって頑固一徹といった姿勢として、やはり、ものごとへのこだわりといった意味で、<本物の証明>でもある。
 
  ブレない、すなわち、それは、色あせないということでもある。イコール、みずみずしい、しなやかな感性を保つための井戸、泉なのである。
 
  余談ながら、山下達郎の真の凄さに軽く言及しておく。以前『笑っていいとも』(フジテレビ)というお昼のタモリ司会のバラエティ番組があった。そこでの企画で「今、日本で一番上手い歌手は誰?」(2013年2月27日)というコーナーの中でのランクについて触れておく。但し、それも大手レコード会社の50人アンケートによるものなので真実味・信憑性は大いに高いと断言できる。
 女性は、一位:AI・吉田美和 二位:MISHA・Superfly 三位:絢香・矢野顕子
 男性は、一位:山下達郎 二位:久保田利伸 三位:玉置浩二・稲葉浩志
 
  得票数も、達郎が断トツであった。因に、妻の竹内まりやの達郎評は以下の通りである。
 
 「達郎は、秀才的に音楽の知識がある。天才的に歌がうまい。」
 

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